癒しの旅の目的はもちろん目的地に着くことですが、それと同時に、もう一つ大切な目的があります。私はメーテルリンクの『青い鳥』を読んだとき、「あ、これは癒しの旅と同じだ」と思いました。
あるクリスマス・イブのこと、貧しい木こりの子どものチルチルとミチルの兄妹は、幸福の青い鳥を探しに出かけますが、一年かけて探しても青い鳥は手に入りません。がっかりして家に帰ってくると、飼っていたハトが青い鳥に変わっています。なあんだ、幸福は身近なところにあるんだ、遠くまで探しに行くことはなかったんだ、と二人には分かりました。ところが、それも束の間、ふとしたはずみで、青い鳥は飛んで逃げて行ってしまいました。
というあらすじの劇。『青い鳥』はいろんな人が日本語に翻訳しているのですが、そのひとり、フランス文学に通じた詩人の堀口大學さんが、
万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしてもむだ、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです。
と書いているのが一般的な読まれ方ではないでしょうか。そう考えると、青い鳥は逃げて行ってしまったのですから、これは悲劇だったということになりますね。でも、そうではなかったのです。
実は、チルチルはこの旅に出たことによって、〈幸福そのもの〉というよりは、〈幸福を探しだす力〉を手に入れたのです。青い鳥を探す旅を経ていくうちに、チルチルの魂はどんどん高められていったからです。幸福を探しだす力を身につけたからには、もう青い鳥が逃げたってどうということもなくなりました。癒しの旅にも同じことが言えます。
互助・自助の体験を積むうちにおのずと、生きる手立てを学ぶことができます。