今回の天心わくわくコースで、すごく素敵なプレゼント(とても大切な気づき)をもらったようです。そのお礼に、感謝の気持ちを込めて、今、感想を書いています。
わかれ道のワークでは、「お母さんに温かく見守られながら、すねるというのは、なんて、なんて気持ちよくて、安心できて、楽しくて、うれしいことなんだ!」ということがわかりました。今書いていても涙が出てきます。すねただけでそうなのですから、長男がやだ!やだ!とダダこねしても、「T、おいでよ!」「おこってるTちゃん、かわいい!」「おいで、おいでよぉ」なんて優しく見守ってもらえたら、どれだけ幸せか想像がつくくらいです。
どんな自分でも否定されないでうけとめてもらえるということ、これが“愛される”ということ?なんて思えました。
“愛”なんて言葉、なんだか気恥ずかしいし、使ってみたって、なんか空々しいという気が今まではしていましたが、“愛”を少し理解できたような気持ちです。
わくわくコースの3回目が終わった翌日の朝、今、ダダこね真最中の二男が、「歯をみがかない!」と言い出しました。「みがきたくないけどみがこう。みがきたくないね、やだねえ」と言いながら、体ではりあいながら洗面所まで連れていき、二男も渋々磨くというのがこれまでのパターンでした。時間に余裕がない時は、もっと一方的に磨かせたり、私が負けてみがかせなかったりしていました。
それがこの日は違いました。「Yちゃん磨かない!」と言ってふんばる二男を前に、もう温かく見守られながらダダをこねる気持ちよさを知った私は、目の前の二男がかわいく思えて仕方ありませんでした。
「Yちゃん、磨こう」「Yちゃん、かわいい!」と、子どもが「Yちゃん磨かない!」と言ったのと同じリズムで言い返しました。子どもが「Yちゃんみがかない!」と言って、私が「Yちゃん、みがこう」と言って・・・そんなやりとりが少し続くと、二男が足も動かし始めたので、私が足首を持ってつきあいました。
そうこうしているうちに子どもが笑いをがまんしているような顔になって、ついに笑いをこらえきれなくなって、ケラケラ笑い、私も笑ってしまいました。そして、二男の足の動きは、いつの間にか、言葉のリズムにあった動きになっていました。これはもう遊びでした。ものすごく楽しくて幸せな遊びになりました。
私は、感激のあまり、遊びが終わると同時に歯を磨かせることをすっかり忘れてしまいました。そうしたら、なんと二男の方から、「歯、みがこう!」と洗面所に向かったのです!その姿はとてもお兄ちゃんらしい感じでした。
この出来事を思い出すと、ワークの中の「変わりたいという気持ちでは、なかなか変われない(実際、もっと的確な表現だったと思うのですが・・・)」「いろんな自分を認めてあげること、大事にしてあげることが結局、近道なんだ」という、Wさんと参加者の1人のやりとりが心に響いてきます。
私は、何かすっきりせず、苦しさを抱えているように見える子どもたちを、早く変わらせてやりたい、楽にさせてあげたいと思ってばかりいました。でも子どものどんな気持ちも温かく受け止めてやること(愛?)が、結果的に子どもを変えるのだということが少し分かりました。何だか涙が出てきてたまりません。本当にありがとうございます。
それから、歯みがきのやりとりがあった日、私が少し苦しくなると、「イライラしちゃうね、でもしょうがないよ。イライラしてもいいよ。そんな完璧な人なんかいないよ」とか、「今は、子どもたちに優しくできなくても仕方ないよ。大丈夫、大丈夫」なんて、私の中にお母さんの私の声がしました(これをおとな心が立ってきたというのでしょうか?)。その声はダダこねする二男に、「Yちゃん、みがこう!」「Yちゃん、かわいい!」と言った声と同じ声でした。
私は、一年前よりずい分変わったと思います。そういえば、和く輪く舎のスタッフのみなさんは、いつも、ただただ温かく、どんな私も認め、受け止めてくれ、待ってくれますね。ありがたい気持ちでいっぱいです。
今私は、自分を大切にするということが頭でわかっていたところから、やっと体験的に理解できてきた感じです。これからまた毎日、バタバタすると思いますが、できるだけ気持ちのよい毎日を過ごしていきたいと思います。
Wさん、Iさん、一緒に参加した方々、素敵なプレゼントを本当にありがとうございました。