今回の研修会で“天心”をしていただいた時、大きな木の陰に隠れている、とても苦しそうな女の子が出てきました。その女の子は、自分のことをだれかに分かって欲しくて、木の陰から、いつも、こっちの方を、寂しそうに見ているのです。
ところが、この子ども心の女の子に対して、“絶対に、その木の陰から出てくるな!”“あんたなんか、どこか行ってよ!”と、女の子につめたくする、とても苦しい子ども心があるのです。そして、冷たくする子供心に、“何で、そんな事を言うの?! そんな事を言っちゃダメだよ!”と、責める、これまた苦しい子ども心があるのです。
天心をしてくださっている方達が、途中から、木の陰に隠れている女の子に、愛の溢れるおとな心で、“こっちへおいで”とやさしく誘い出し、楽しく遊んでくださったのです。
その子ども心は、うれしくて、楽しくて、とても喜んでいました。その時の女の子は、とてもすてきな女の子になっていたのです。
翌日、今度は、天心をさせていただいた時、母の苦しい気持ちが出てきて、とても悲しくなり、泣けてきたのですが、終わってから、わけもわからず、なぜか苦しくて仕方のない私がいました。
帰りの新幹線の中で、いろいろ考えていると、ふと、自分の気持ちだとばかり思っていた、あの女の子は、実は、母の気持ちだったのではないか。なぜか、私は苦しい母を助けようとして生まれてきたが、育ててもらう過程で、母の気持ちを、そっくりそのまま、自分のものにしてしまい、さらに、それを責める子ども心が出てきて、どんどん苦しくなっていたような気がしたのです。
“母を助ける”という志を果たせない苦しい私に、このようなことを気づかせてくれた“抱っこ法”に出会わせてくれたのが、不思議なことに私の子供達なのです。子供達が苦しい私を助けようと、生まれてきてくれたような気がして、すごくうれしいのです。だから私は“抱っこ法”や“天心”の力、子供達の力、いろいろな人の力をかりて、そして、自分を信じて、母の苦しさ(だれにでも共通のものだと思うのですが…)を、全て受け入れることができるようにしていきたいと思います(木の陰の女の子と仲良くできるようにと思います)。
ところで、研修会の時、ふと、子供は、母親のためだけに生まれてくるのだろうかと疑問に思ったのですが、家に帰ってきてからのある日、子供が、何と、私の父のある苦しい思いを、そっくりそのまま言っていることに気がつきました。
それも、私が心の深いところで苦しんでいたものだったのです。実に、大きな木の陰に隠れている、とても苦しい男の子のイメージです。
大きな木の陰には、一体、何人の苦しい子供達が隠れているのかと思うと、人が生まれてくるのは苦しい子ども心と、すべて、仲よくするためのような気がしてきました。
大人でも、子供でも、皆、何らかの“志”を持って生まれてきて、この世の中で一人一人、自分なりに一生懸命に生きているのかなぁと思うと、どんな人でも、皆、価値があり、すばらしいことだと、しみじみ感じます。
なんだか、現実離れしたことを書いたような気がしますが、私にとっては、心の深い部分にふれることができた、すばらしく、苦しい研修会だったと思います。
“本当のやさしさは、ものすごい厳しさだよ”と、私はある人からよく言われていたのですが、A先生を拝見していて、本当の愛というものは、迎合したりすることではなく、“その人の存在を認めることだ”ということが、とてもよくわかったように思います。
Yさんは、本当にすばらしい方で、恐ろしいほどに相手の心がわかる人だと思いました。と同時に、本当に、その人が求めている言葉をかけてくださることに、私は、とてもうれしく思いました。
また、天心で、溢れんばかりの愛をくださった、すてきな三人の方々には、とても感謝しています。
研修会でご一緒させていただいた方々、本当にすばらしい人たちでした。このように愛の溢れる人たちが集まれば、不安や恐れはなくなるような気がします(そのあまり、自分は何てダメなんだろうと、思ってしまうのですが……)。
A先生、Yさん、そして皆さん、本当にありがとうございました。