昨日は天心でお世話になりました。自分は複雑な人間だと思っていましたが、実は単純な人間だったんだなあと思いながら帰途につきました。たった一回の天心で私、幸せになったのですもの。本当に本当に感謝しています。
最初はドキドキしていました。自分を見せなきゃいけないのかなあと思っておっくうでした。何が始まるんだろうと考えながら最初の瞑想をしていました。
ところが、グループにわかれて、音楽を聴きながら目をつぶって両側から腕を支えてもらっていると、自然に泣きたくなりました。「私、泣きたかったんだ。上の子の幼維園入園で大変だったもの。生後八か月になる妹も目が離せなくなってきたし、家事やら何やらで余裕がないもの。頑張っていたもの」
思いっ切り泣いたら、ふと気持ちが上のほうに上がってきて、「私、何やってるんだろう」っておかしくなってきたので、しばらく笑い続けて、気がつくと首を横に振っていました。
そして出てきた言葉が「ヤダ」。それから思いきり「ヤダ、ヤダ」ってしました。だだをこねたかったんですね。小さい頃三人姉妹の長女で、あんまりやだって言わなかった自分を思い出したり、我が子と同じことしている自分をおかしく思ったりしながら、ひたすらヤダヤダしてると、誰かがやさしく頭をなでてくれて、「だいじょうぶだよ」って言ってくれて、なんだか安心して……。
幸せな気分になったと思ったら、今度は本当に突き上げられるように泣いていました。ここから先は、自分の中のものが勝手にあふれ出た感じです。本当に不思議。でもおかげでやっと、自分のなかで本当に辛かったことを思い出せました。
誰にも言っちゃいけなかったこと。死にたいくらい辛かったこと。言っちゃいけないので、心の底にしまっておいたうちに子育てが始まって、自分でも忘れてしまっていたこと。でも忘れちゃいけないこと……私、こんなことを抱えて子育てしてたんだ。
私の根っこにあったことが、その時の想いが蘇ってきて、吠えるように泣いていたら、突然ブレーキがかかった。ダメ、このことは言っちゃダメ、誰にも言っちゃダメ。もうこれ以上聞かないで、こっちに来ないで。
で、「ダメ、ダメ」を続けていたら……突然ブレーキが終わった。そして嬉しくなっちゃったんです。
縮こまってた体を伸ばしたくなった。笑いたくなった。幸せになった……。その幸せは、今も続いてます。
よく分からないけれど、私が幸せって思っていると、子どももいつもと全然違うのですね。昨日もやっばりトイレで失敗しておしっこだらけにしちゃった。でも、いつもみたいにどなったり怒ったりぶつぶつ言ったりする私じゃなくて、「もう、しょうがないねえ」って言いながら、普通におしっこを拭いてる私がいる。幼稚園のバス停から家に帰るのがいやで、中庭でキャーキャー叫ぶ子どもに、(ご近所に恥ずかしい)と思いつつ険しい顔で強引に手を引く私、そして家に帰ると「いいかげんにして」って怒っててた私じゃなくて、「遊びたいよねえ、でも雨降ってるからお家であそぼ」って普通に手を引いてる私がいる。
それはぜんぶ、今まで「こうしたい」と思ってもできなかったこと。そしてできない自分に落ちこんだり、「ダダこね育児なんてできるわけない」って八つ当たりしたりしていた。でも、私が幸せだとそれって自然にできる、当たり前のことだった。幸せな人間って、子どもをあるがまま受け入れることができるんですね。
夕飯をいつになくパクパクおいしそうに食べながら、「今日は楽しいねえ」って言う我が子を不思議な気持ちで見ていました。
ね。つくづく単純な人間でしょ。
いつまで続くか分からないけれど、たとえ一時的なものなのだとしても、今のこの感謝の気持ちをどう表現したらよいのか分かりません。支えてくださったみなさん、本当にお世話になりました(またお世話になります)。
あ、夜の授乳後、ふつうならすーっと寝てしまう下の子が、ギャーギャー泣いて訴えてくれました。初めての本格的な?癒しの抱っこで、これもびっくりでした。