先日は研修会をありがとうございました。ちょうど思春期に入ったたばかりの息子の扱いにほとほと困っていたところだったのです。けれども良いヒントを得ることができて、彼の扱いに少しずつ慣れてきたところです。
あの紙テープを使った実演をすることにより、自分の立場、相手の存在を意識することができ、人との関わりに一呼吸置けるよう努力しているところです。
ただ今、泣いたり怒ったりほっとしたりの毎日です。
さて、半年前にダダこねの張り合いの実演を体験をしてから、ダダこねに寄り添ってもらうことがあんなに気持ちがいいとは知らず、今はダダこね育ちにとても関心があります。
保育の中では、子供たちが急に暴れだしたり、反抗したり、泣き続けることは、日常茶飯事です。
「あらあら、まあまあ」と穏やかに対応できることもありますが、時には、イライラしてムキになり叱りつけてしまうことがあります。
どうしようもなくイライラしたら、とにもかくにも「体当たりだ」と自分に言い聞かせ抱きしめ、もがいている手や足を支え、その動きにつき合うようにしました。
なんと、そうすることにより、子供たちの怒りがおさまりはじめ、自分のイライラも和らいでいるのです。ああ、苦しみや怒りは、体に現れるものなのだとわかりました。
言葉での励ましも大切ですが、なんといっても体当たり、そうそう体と心の寄り添いに勝るものなし、と自己満足をしてみたりしています。
そんな日々の中で、ふと気づいたことがあります。
私たちの保育園では、昼寝の時には子どもたちの体(うつ伏せ寝なら背中、仰向けなら足や腹など)を軽くトントンとして眠るまで介助していました。しかしトントンしてもなかなか眠れない子も中にはいるのです。
そうしているうちに、そのトントンが「早く眠ってほしいなあ。やりたい仕事もあるのになあ」というメッセージが送られていることに気づいたのです。そのことが優しさに欠けるようで、嫌な気持ちになりました。その時、天心が思い浮かんだのです。
横たわっている子どもの体に寄り添い、腕や手に触れました。そして目を閉じて心の中で、
「今は、どんな気持ちでいるのかな」
「今日は、なんだかいつもの元気がないから気になっていたのよ」
「どこへいきたいのかな」
「応援でさることがあるかな」
など、呼吸を整えメッセージを送ると、子供たちの手や腕が動きはじめました。今度は、腕と手をしっかり保持しながら、その動きに寄り添いました。そんなやりとりが数分、もしくは、数十分続いた後、ほとんどの子が心地よい眠りに入っていくのでした。
「早く早く眠ってよ」とせかしていた気持ちがなくなっていくのです。そして天心を続けることで、子どもたちがより一層、愛しく思えるようになりました。
最近では、「美癒」や瞑想のCDをバックミュージックにかけて、自称やすらぎタイムとしています。
人の気持ちに触れ合い、互いにやりとりがはじまると、相手を思いやる気持ちが芽生えていくような気がします。
天心で優しさとは何?どんなふうに?を教えてもらっているように感じています。