まずは気持ちの存在を認める

1日ワークショップ午後からのワークで、Aさんのチャイルドの役をしました。

座布団の上に座るように促された時、すぐに駄々をこねて抵抗しました。まだ、この時は役になりきれてない感じでした。「えっ、どうしよう?すんなり座るところではないな」みたいな感じで、とりあえず抵抗しようって感じでした。今振り返れば、もっともっと抵抗したかったかな…せっかく言い分を聴いてもらえるチャンスだったのに…と残念に思います。

阿部先生の「また、後で聴くよ」という声を聴いて安心して座ったのでした。

さて、座っているチャイルドの所へAさんが向かってきてくれます。

チャイルド役の私は、優しい気持ちでAさんをみつめていました。「自分のペースでいいですよ。待っていますから」と心の中で声をかけていました。驚きました。私はついついチャイルドを悪者扱いしていましたが、一見否定的なチャイルドが、こんなにも優しい気持ちで自分を応援してくれていたなんて…。

少しだけ言い分を聴いてもらえた、チャイルドの存在に気付いてもらえた、そして、何よりも今まっすぐにみつめていてくれることがとても嬉しい。だから、暴れることなくその時を待っていようと思いました。

何度も何度もいつもいつも言われ続けてきた、「まずは存在を認める」ってこういうことだったのかと、身をもって体験できました。とてもすてきな体験、大発見といえる体験となりました。

私はついつい気持ちたちを分け隔てしてしまっていました。

存在に気付くと「あなたはさっさとおとなしくして」と存在を認めることもなく、申し訳程度に言い分を聞き? 「さあ、もういいでしょう、だから、さっさとおとなしくして」という感じの付き合い方でした。

これでは、気持ちたちは納得なんてできませんよね。だから、一旦おとなしくなったかと喜んでいてもすぐに騒ぎ出してしまうのですね。

ずっとずっと待ち続けていた気持ちたち、ようやく認めてもらえる、聴いてもらえるチャンスが巡ってきたのですから、何度も何度も「ここに居るよ」と声をあげてくるのも無理のないことですね。どんな気持ちも分け隔てなくまずは存在を認めるということを、根気強く積み重ねていけたらと思います。

チャイルド役はAさんがみつめてくれている時は、安心して応援していたけれど、後ろを向かれた時はとても寂しくなりました。Aさんが別のチャイルドになって、皆に支えてもらいながら言い分を聴いてもらっている時、チャイルド役の私は後ろから見ていました。羨ましくなりました。

「いいなあ、だったら私もまた早く聴いて欲しいよ」と。ひとつの気持ちに気付き、その言い分を聴こうとすると、すぐに次々と違う気持ちが出てくるのは、こういうからくりかと納得したのでした。

次にBさんの母役をさせてもらいました。

Bさんを母役の私が抱きしめた瞬間、大きな声で泣き始めました。すると、見ていたCさんも大きな声で泣き出したのです。Cさんは、後で「想定外の展開だった」とおっしゃっていました。

私はこの成り行きに「天心ってすごい!」って思いました。そして、「為すではなく成る」ということをあらためて思いました。何もしないで待つのではなく、ジタバタ試行錯誤を続けていたなら、いつかきっと、成る日がくると思える気持ちが膨らんできました。

午前中、私の気持ちに付き合っていただい時、「甘えたらいけない。甘える資格がない。幸せになる資格がない」という気持ちが出てきて、固まってしまいました。その時の背中と両サイドからの支えが、夫と娘と息子だとイメージできました。苦しみの塊だった私を、3人が支えてくれてここまで連れてきてくれた…そして、これからも私のこの家族を大切にして、少しずつ前に進んでいけたらいいのかな…と思ったのでした。

毎回、想像以上のお土産がもらえるなあ…と思いました。また行きます。

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